小説 グリンメルスハウゼンの著作
Marcus Bloß (1641) グリンメルスハウゼン In Wikimedia Commons
いずれも半世紀前の翻訳で入手しづらく恐縮ですが、三十年戦争を「下」から知るには避けて通れないものたち。
というのも、作者グリンメルスハウゼンは正真正銘の三十年戦争同時代人。いや正確には若干後になりますが、三十年戦争後半10年程度、若年といえどその真っ只中に居た人物なので、実体験に基づいた記述となっています。半ば一次史料に近いものです。 これらいずれも、為政者側からみた歴史ではなく、ほぼ底辺に近い環境からみた一人称での一代記になっています。「ほぼ」と書いたのは、どちらの語り手も、本当の親が貴族だったと自称しているうえ、本当の底辺であれば関わらないであろう人物や事物との関わりがあるから。これはグリンメルスハウゼン自身の置かれていた立場の限界かもしれませんね。彼自身見聞きしていて、あるいは一時的にはそのような境遇に陥ったこともあるかもしれませんが、その中に完全に身を置いて生活の大部分を過ごしていた、というわけではないのでしょう。
阿呆物語(上・中・下)
- 著者: グリンメルスハウゼン (著), 望月 市恵 (翻訳)
- 出版社: 岩波書店
- 発行年月: 1953年10月5日~1954年5月25日
- 定価: 780円、660円、720円(2010年復刻版価格)
読書メモ
全6巻を3冊の翻訳にまとめたもの。ざっくり言って、1-2巻が少年時代、3-4巻が青年時代、5-6巻が中年以降という構成です。
主人公の名前「ジムプリチウス」はラテン語で阿呆とかおめでたいとかいう意味だとか。確かに、少年時代のジムプリチウスの生まれ育ちは本当に何も知らないアホの子で、拾われた隠者から信仰と知識を叩きこまれます。隠者の死後に小姓になり、道化になり、兵士となり、兵士として頭角を現そうとした矢先に敵陣営にさらわれ、流転しては悪事を覚え、友情あり敵もあり、まあとにかくひどい目に遭い、遭わせ、波乱万丈な一生が描かれます。ネタバレしてしまえば、最終的には少年時代の隠者の生活に戻ることになりますが。
正直いって、5巻の大部分と6巻の半分くらいは、蛇足感がけっこう強く読むのが若干苦痛でした。夢の中の悪魔ネタとか、やっつけで世界一周とか、唐突な取って付けた感があります。
それでも作者の知識は半端なく、その守備範囲も広大で、それが余すところなく作中にどんどん登場します。5-6巻もそういった意味では非常に勉強になります。とくに、トイレットペーパー(17世紀にもあったのね…)との会話は、麻が布や紙になって、最終的にトイレットペーパーになった顛末を非常に細かく書いています。聖書・古典・地理など単なる紙の上の知識だけではなく、流通や金融などの生きた知識が垣間見えるエピソードです。
また、個人的には、次々に難題が主人公を襲う筋立ては、19世紀のヘンティ作の少年歴史冒険小説にも似ている気がします。もっとも、あちらの主人公は品行方正で、決して悪事は働きませんが…。
折角なのでオランダに言及されている箇所をいくつか。ジムプリチウスの宿敵オリバーが語るところによれば、オランダ軍は給料はいいけれど「尼よりも行儀をうるさく言われる」ほど「野暮臭い」とか。当時から、始終行動を規制される厳しい軍という認識があったようですね。それと、おそらくラインラント辺りで敵の将校が残していった荷物の中に、なぜか「オランイェ公」(フレデリク=ヘンドリクらしい、と注にはありましたが)の肖像の入ったペンダントが入ってました。
放浪の女ぺてん師クラーシェ
- 著者: グリンメルスハウゼン (著), 中田 美喜 (翻訳)
- 出版社: 現代思潮社
- 発行年月: 1967年
- 定価: -円
読書メモ
「ジムプリチウス」の女性版。ジムプリチウスの作中に自分が(おそらく中途半端に)登場したのが許せず、自分はこんなに悪女なのよ!と、ジムプリチウスに意趣返しをする女性の一人語り…という体裁をとった物語。
こちらは1冊本と短く、一代記という大筋は似ているので、先にこちらから読んだほうがラクかも。クラーシェは何人も旦那を変えながら、ときには自分の才覚で商売を成功させ、もちろん散々ひどい目に遭うことはあるものの、したたかに世を渡っていきます。ただし、これもネタバレにはなりますが、ジムプリチウスが最終的に改心して神に仕える生活を選んだのに対し、クラーシェはジプシーとして悪事そのものを生業とするようになります。好き嫌いの分かれるところかと。
「ジムプリチウス」以上に、こちらは三十年戦争の経緯が詳しい。作者の生まれる前からの年代記、ドイツの各地で何年に何という将軍がどこで何をした…ということがかなり正確に書いてあります。グリンメルスハウゼンが書記という仕事をしていたということも理由かもしれませんが、現代と違って史料へのアクセスが限られるであろう17世紀、しかも戦後にヨーロッパの広大な地域の正確な歴史を書きうるそのこと自体が、この作品を非常に貴重なものにしていると思います。
しかしこのクラーシェ、自称美人ではありますが、何度も大の男を散々にボコボコにするほど、腕っ節のほどもお墨付き。それもあって、痛快さの面ではこちらに軍配かな?