ハプスブルク家と芸術家たち

  • 著者: ヒュー トレヴァー=ローパー (著), 横山 徳爾 (翻訳)
  • 出版社: 朝日新聞社
  • ページ数: 224p
  • 発行年月: 1995年2月(1987年)
  • 定価: 1,427円

読書メモ

これは文句無しにおもしろい! 絶版なのがもったいない。

トレヴァー=ローパーはとっつきにくいイメージがあったのですが、これはすべての章が読みやすく、さくさく読んでいけます。難しい論ではなく、ケーススタディやエピソードが満載なので、それが読みやすさにつながっているのかと思います。それぞれのハプスブルクの君主の、人となり、芸術観、そして宗教観と芸術家との関わり、という書き方になっています。

各章には、モノクロですがいくつかの絵画が紹介されているので、下記にはそのうち代表的なものを挙げてみました。

第1章 カール五世と人文主義の挫折

Tiziano-gloria-1554

ティッツィアーノ (1554) 「グローリア」 In Wikimedia Commons

カール五世が自分の専属画家として見出したティッツィアーノとの関係が主となります。ティッツィアーノはしだいに皇帝と懇意になっていき、最後にはその内面の引きこもり属性に気がついて、英雄然とした肖像画と同時に、ちょっと疲れた静的な肖像画をも描きました。それに感動したカール五世は、自らの死に備えた礼拝画をその生前に依頼するまでになります。それが上記の「グローリア」で、死者の衣をまとったカール五世が中央やや右上に描き入れられています。 ほかには、やくざな彫刻家レオーニのエピソードも楽しい。

第2章 フェリーペ二世と反宗教改革

El Greco 056

エル・グレコ (ca. 1579) 「イエスの御名の礼賛(フェリペ二世の夢)」 In Wikimedia Commons

フェリペ二世については、エル・エスコリアル宮殿の建築にページが割かれています。父カール五世のユステ修道院をモチーフに規模を発展させた宮殿は、フェリペ自身が積極的に建築に関与しました。このようにスペイン王宮では「新しい宮殿を飾る大量の絵画」という画家たちにとって魅力的な需要があったにも関わらず、悪名高い異端審問を恐れて、画家たちがスペインから逃げてしまうばかりか寄り付きもしない、というジレンマをも抱えることになりました。

そこで自らスペインへ売り込みに来たのがエル・グレコです。「フェリペ二世の夢」は、カール五世の「グローリア」を意識した内容で、いちばん下の黒い衣の人物がフェリペ二世です。(2012-13年の『エル・グレコ展』にも来ました!)。しかし、フェリペはその画風が気に入らないといって、彼を御用画家にすることはありませんでした。後世の目から見れば非常にもったいないことですね。

また、フェリペはヒエロニムス・ボスの作品に傾倒し、可能な限り買い集めたとのことです。オランイェ公ウィレムの没収財産の中にもボスが含まれていたとか…。

第3章 プラハにおけるルードルフ二世

Arcimboldo Librarian Stokholm

アルチンボルド (1570) 「図書館長としてのルドルフ二世」 In Wikimedia Commons

個人的に最もおもしろかったのがこの章。カールよりも、フェリペよりもさらに引きこもりのルドルフ二世です。最後には政治にも宗教にも完全に興味をなくして不思議世界とコレクションに没頭したわけですから、群を抜いています。

ルドルフ二世が保護をした画家では、父マクシミリアン二世の贔屓でもあった、上掲のアルチンボルドが有名です。が、それだけに留まらず、ヤン・ブリューゲルをはじめとして、本当にたくさんの画家・彫刻家を熱心に招きました。それよりもすさまじいのが収集です。ルドルフの収集欲はとどまるところを知らなかったので、帝国各地に目利きのできる部下を配置し、現在他者の所有となっている美術品をいかに強奪するか、虎視眈々と狙っていました。持ち主が死ぬと格安の値段で、その相続者から買い叩いたり、いちゃもんをつけて取り上げたり、「権力を笠に着る」という表現がまさにぴったりです。

なお、この膨大なコレクションは三十年戦争の末期、スウェーデン軍によって略奪に遭い、現在も多くがスウェーデンに所蔵されているようです。書き口からして、トレヴァー=ローパーはどうもクリスティーナ女王嫌いっぽいですね(笑)。

第4章 大公夫妻とルーベンス

Peter Paul Rubens 118

ルーベンス (1611-1612) 「ユストゥス・リプシウスとその弟子たち」 In Wikimedia Commons

2章のフェリペ二世の王女イザベラ、3章のルドルフ二世の末弟アルプレヒト七世の「大公夫妻」が、4章の主人公です。とはいえ、内容はほとんどルーベンスだけで占められています。大公たちの功績とされているのは、1609年の「十二年休戦条約」に伴って、今までネーデルランドから亡命していた地元の芸術家たちを呼び戻したことです。ルーベンスのほかに、ファン・フェーン、ヤン・ブリューゲル、クーベルヘルの3人が挙げられています。この12年の間に文化を復興・発展させ、反宗教改革とも平行して、とくにルーベンスは大量の宗教画を描きました。

外交官としてのルーベンスについても詳細です。ここでは彼の行動原理として、パトロンへの忠誠心でも、宗教的な情熱でもなく、あくまで故郷の平和を志向していたということが繰り返し述べられます。それが、ルーベンスがローマでの「この上ない好条件」を捨ててまで、志向を同じくする大公夫妻に仕えたという理由になっています。

~Further Reading~

絵画の略奪

  • 著者: ヒュー トレヴァー=ローパー (著), 樺山 紘一 (翻訳)
  • 出版社: 白水社
  • ページ数: 94p
  • 発行年月: 1985年12月
  • 定価: 1,470円

読書メモ

David Teniers d. J. 008

テニールス (1651) 「レオポルト=ヴィルヘルム大公のギャラリー」 In Wikimedia Commons

『ハプスブルク家と芸術家たち』の姉妹編。原書はこちらのほうが6年先ですが、訳書第一版はそれぞれ同じくらいの時期。薄くて図版が半分くらいなので、『ハプスブルク家と芸術家たち』の一章分と同じくらいのボリュームかと思われます。

ただ、内容はこちらのほうが若干後の時代を扱っていて、主に三十年戦争の時代に、プファルツ、マントヴァ、バイエルン、そしてプラハから、美術品がどのように売却あるいは略奪されたか、という話です。ハプスブルクだけというわけではなく、イングランドのチャールズ一世やバイエルンのマクシミリアン一世、フランスのマザラン枢機卿などについても言及されています。

こちらを見ても、繰り返しスウェーデンが悪し様に言われています…。